美しく愛らしいオリーブグリーン~ミルクグリーンを持つアイドクレース。
見るだけで癒されるようなその緑は、木漏れ日あふれる森を思わせる。
所有者をとても穏やかでリラックスした気持ちにさせてくれるが、同時にどこか哲学的な石でもある。
森の賢人の石
アイドクレースをしばらく見つめ、そしてそれを身につけてから瞑想してみよう。
イメージするのはさわやかな森だ。
清涼な空気。やわらかく、それでいて力強い土や緑のにおい。愛らしい小鳥の声。どこからか聞こえる川のせせらぎ。近くの木陰から、かわいい子鹿が姿を見せる。
あなたは森の賢人だ。年老いた類人猿? あるいは遙かな時を超えてきた老木? なんにせよ、穏やかで澄み切った静かな目で、森を見つめている。
美しく、平和な森。―――だがそれは本当だろうか? それがすべてだろうか?
あっ! 草むらから黄色い影が飛び出してきた。虎だ。牙をむき出しにした大きく凶暴な虎。あわれ子鹿は虎に喉を食い裂かれてしまった。
美しい森は血に染まった。虎は動かなくなった子鹿を引きずって去っていく。森の中には恐ろしいものも潜んでいるのだ。
虎だけではない。とある石の影には不気味な毒蜘蛛がいる。木の枝には恐るべき毒蛇が舌をチロチロさせている。彼らは毎日のように森で惨劇を起こす。
しかし……それは忌まわしきことだろうか?
少なくとも、森の賢人であるあなたはそんなことは思わない。
さきほど虎が去った方向へ視点を送ってみよう。
とある岩場、おそらくは巣穴の前なのだろう。あの虎がいる。4匹の、とてもかわいらしい子虎と一緒だ。
子虎たちは、母親が捕ってきてくれた子鹿を夢中になって食べている。母虎はそんな子供たちの体を、愛情を込めて舐めている。
あなたはその光景を、穏やかで澄み切った静かな目で、深い深い愛情を持って見つめている。
恐ろしい捕食者たちも、やがて命尽きるときが来る。するとその体は小動物の、虫の、細菌の餌となり、やがて土に、木に吸収され森に帰ってゆく。
すべては循環する。すべては価値あるものだ。あなたは深い深い愛情を込めて見つめる。喰うものを、喰われるものを、おとなしきものを、凶暴なるものを、清涼なるものを、毒あるものを、生まれるものを、命尽きるものを……
あなたはすべてのものを、愛と肯定の目で見つめ続ける。
アイドクレースがもたらす人間関係と環境
アイドクレースを身につけた人の心にまず芽生えるのは、ある種の謙虚さだろう。
自分が自然の中においてちっぽけな存在であることを自覚し、にもかかわらずこの世界で生き続けていられることに、深い感謝の念を抱くようになるのだ。
逆説的ながら、そのような謙虚な精神を持つ人は、他者からはとても崇高でレベルの高い人物に見えるものである。
アイドクレースがもたらす謙虚さは、他者をリラックスさせ、他者からの好意と尊敬を得るので、周囲の人々との関係は、自然と円満に、かつ質の高いものとなってゆくだろう。
アイドクレースの所有者は、すべての物事に対する公平な視線も持つようになる。
物事の表面上だけを見て善悪を判断するようなことがなくなり、他者を決めつけること、否定すること、裁くことに慎重になる。
ニュースなどで毎日のように流れる「ひどい話」を聞くたびに精神を動揺させ、正義感なのか怒りなのか恐怖なのか分からぬ感情を爆発させているような人は、アイドクレースを持つことで心の平安と平衡を取り戻せることだろう。
また「ひどい話」に感情を揺れ動かすということは、そういう「ひどい出来事」を自分のもとに「引き寄せ」てしまう可能性もはらんでいる。
日々、様々なトラブルにまみれているような方は、アイドクレースを所持し穏やかな心を得ることで、トラブルの類いを自身から「引き離す」ことができるかもしれない。
自然の中で、地に足を付けながら、精神性を高める石
土、水、緑、それらが混じり合った泥や汚濁―――そういったものと共にあるからこそ高まる精神性もある。
アイドクレースは地に足を付けて生きるグラウンディング性とともに、精神的な部分でははるか天の高みを目指す向上の性質を有している。
そう、それは樹木のように。
地にしっかり根を張り、静かで無駄な自己主張をすることなく―――それでいて高く高く、上を目指すのだ。