宝石の王。究極の石。この世界で最も神に近づいた物質。それがダイヤモンドだ。

 ダイヤモンドのモース硬度(相対硬度)は「10」。

 しかし実際の硬度においては、モース硬度「9」に位置するルビーサファイアのはるか上の数値を有している。

 圧倒的な高みに在る、圧倒的なレベルでの最強の石。

 もし何らかの“環境”や“場”において、支配者または最強の存在でありたいなら、ダイヤモンドを身につけることで―――他にダイヤモンドを所持している人がいるなら、誰より立派なダイヤモンドを持つことで―――それが現実のこととなるだろう。

すべてを跪かせるダイヤモンド

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 たとえそれが砂粒のような小さなダイヤモンドであっても―――

 ダイヤモンドを身につけた人のオーラは、非常に強く、気高く、輝かしいものに変化する。

 そのオーラがどのような色に“感ぜられる”かは、人によって異なるようだ。金色と感じる人もいれば、虹色のように感じる人もいるようである。

 実際のところ、それらはどれも正しく、しかし間違ってもいる。

 ダイヤモンドのオーラにはすべての色彩が備わっている。

 だから特定の色に見えることもあれば、虹色にも、無色透明にも感じられることもあるのだ。

 もし目の前にあなたより年下の、小柄なかわいらしい女性がいたとして、その女性が小さなダイヤモンドのアクセサリーを身につけていたとしよう。

 一方のあなたは、なんのパワーストーンも身につけていない。するとあなたは、彼女が何をしたわけでもないというのに、彼女に対して「勝てない」という意識を、心の奥底に抱いてしまうだろう。

 そして理由もないのに、その若い女性を自分の上司か主のごとく、丁重に扱ってしまうことになる。

 ダイヤモンドのオーラ強化力、そしてその影響力には、それほどまでにすさまじいものがあるのだ。

 その作用は、他者―――人に対するものだけにとどまらない。

 多くのパワーストーン同様、ダイヤモンドには魔除け・厄除けの効果があるが、ダイヤモンドはその気になれば、悪霊すら跪かせ、自分の思い通りに操る事ができる。

 運命を司る精霊たちでさえ、ダイヤモンドにはこうべを垂れる。

 ダイヤモンドの主は家令に命じるがごとく、愛でも、富でも、名誉でも、好きな運命を、自分の元に持ってこさせることができるだろう。

ダイヤモンドを持つ際の注意点

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 もしあなたがダイヤモンドを持ち、それを身につけたとしたら―――

 あなたの心の奥には小さな、しかし確信に満ちた万能感が生まれることだろう。

 前述の通り、人を、霊を、運命をも従わせることができるダイヤモンドのパワーを無意識のうちに感じ取るからだ。

 あなたの中の万能感は真実だ。しかしだからこそ、あなたは自身の内にあるパワーの使い方に気を付けねばならない。

 ダイヤモンドの力を得たあなたは、あらゆるものを跪かせる。

 しかしその相手が、あなたに対し不満や反発の念を抱かぬわけではないのだ。

 あなたがもし相手を―――それが人にせよ、物事にせよ、霊や運命にせよ―――粗末にするような態度を取っていたら、相手の不満や反発は蓄積し、やがて爆発するときがやってくる。

 服従は反逆にかわり、あなたは手ひどい一撃を喰らうだろう。

 そうなると意外なほど脆いものである。

 ダイヤモンドが衝撃に弱いことは有名だ。

 瞬間的に激しい衝撃を加えられると、あっさり砕けてしまう。

 その理由はいろいろあるが、ダイヤモンドが硬すぎることも、その原因のひとつとされている。

 硬すぎて柔軟性がなく、喰らった衝撃を緩和したり外部に逃がしたりできないので、なすすべなく割れてしまうのだ。

 ダイヤモンドを持つ人のオーラや精神性にも、そのような突如の衝撃に対する弱さのようなものがある。

 ダイヤモンドの所有者はみずからの存在に完全性・完璧性を感じるようになる。

 しかし所詮は人間だ。ダイヤモンドの力を借りていたとしても、完全無欠であれるはずはない。

 そこには必ず瑕瑾があり(まさに玉に瑕だ)、そこを責められてしまうと、ダイヤモンドの主は―――自身に完全性を感じているからこそ―――ひどいショックとダメージを受けてしまうのである。

 この世界に、ダイヤモンドを所有する人々は数多くあれど、パワーストーンとしてのその力を生かし切れている人が少ないのは、そういったダイヤモンドの弱点―――最高の硬度を誇るというのに事実上防御力が弱くなる、という点を分かっていないからでもある。

 ならばどうすればよいだろう。

 まずは自覚することだ。

 自分の中に力があることを。しかしその力はダイヤモンドから借りたものであることを。傲慢な態度を取れば他者から恨まれることを。自分は完璧ではなく、むしろひどく打たれ弱い部分もあることを。

 それらをしっかり自覚していれば、自ずと謙虚さを忘れなくなり、また無意識のうちに他人の反発を買うような態度を取ることもなくなるだろう。

 ダイヤモンドの持っているだけで発揮される威圧感もやわらかなものとなり、人や物事、運命に命令や操作を行うにしても、柔軟で穏便な形を取れるようになるはずだ。

 なんにせよ、誰かを敵にするような言動をすべきではない。

 その逆を行こう。たくさん味方を、友達を作るのだ。

 ダイヤモンドの力を使って、周囲の人のためになることをしよう。人々を助け、利益を与えよう。

 そうして得た支持は、あなた自身の何よりの財産だ。

 人に与えた利益の何倍もの富・名誉・成功が、巡り巡って、やがてあなたのもとに帰ってくることになるだろう。

ダイヤモンドで“敵に勝利”するための心構え

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 できる限り避けるべき事だが―――

 万が一、ダイヤモンドをもって敵と戦い、それに勝利せねばならぬような状況になったときは、容赦なく徹底的に責めるようにしよう。

 宝石王ダイヤモンドの主にふさわしき自信満々な態度で、決して弱みを見せることなく、圧倒的な力を以て敵を攻めきり、叩き潰すのだ。

 反撃を許してはならない。反撃を一度でも喰らってしまえば、前述通りひどいダメージを受け、相手に弱みを見せてしまうことになる。

 どこまでも最強を「演出」し、無敵の存在、二度と敵にまわしたくない存在として、みずからを敵の心の内に刻み込まねばならない。

 だがそれはとても難しく、また危ない橋を渡る行為だということも自覚しよう。

 また自分自身が完璧に戦い、行動したからといって、それで良き結末になるとは限らない。

 世界一強いはずの戦士が、限りなく偉大な英雄が、何者が放ったとも分からぬ流れ弾の一発でみじめな最後を迎える―――それが争いというものだからだ。

 争いの場に身を置いた結果、思わぬ不運があなたのもとに飛び込んでくるかも知れない。

 繰り返すが、争いはできる限り避けるべきことなのだ。

神のごとき究極の中庸

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 ダイヤモンドは極めてレベルの高い、神様の領域に近い物質となる。

 それゆえに、ダイヤモンドは我々人間がこだわるネガティブ性、ポジティブ性に無頓着なところがある。

 善も悪も、幸も不幸も、人間の思考や心が創り出したものだ。我々が好むものも、嫌うものも、神様のレベルから見ればどれも「良し」となる。

 すべての物事に対する「全肯定」―――それは我々の目から見ると、残酷なまでの無関心、あるいは混沌ともとれる“なんでもあり”にも感じられる。

 ダイヤモンドはある種、機械的にあらゆる願いを受け入れ、その想いを増幅する。

 もしあなたが誰かを憎むことがあって、その相手の不幸を願ったとしたら、ダイヤモンドはこう答えるだろう。

「それも良し」

 そうしてあなたのなかの、その相手への憎しみを限りなく増大させてゆくだろう。

 その結果、相手を呪うことができるだろうか。それはわからない。ただはっきりいえることは、その憎しみの念は、あなたの身と心を焼き、あなたを生き地獄に落とすだろうということだ。

 もしあなたが、なにかのきっかけで自己嫌悪に陥り、自分には不幸がお似合いだ、と思ったなら、ダイヤモンドはやはりこう答えるだろう。

「それも良し」

 そうしてあなたに、あなたがイメージしたとおりの不幸をもたらだろう。

 多くのパワーストーンは持ち主が間違った方向へ進もうとするとき、何らかの方法でそれをとめようとしてくれるものだが、ダイヤモンドはそうではない。

 神の世界観をもって、すべてを「それも良し」と受け入れ、増幅し、現実化させようとする。

 よってダイヤモンドを身につけるなら、自身の心をしっかり制御し、邪念やネガティブな思考を抱かぬよう心がけるべきなのである。

 ダイヤモンド―――まさに宝石の王、パワーストーンの王。

 それを身につける人には、精神的にも、思想的にも、また肉体的にも、それ相応のレベルというものが要求される。