黒に不思議な白い縞模様を持つ瑪瑙(アゲート)の一種、天眼石。

 古くから高僧や修行者が、自分を堕落させんとする魔を追い払うための魔除けとして利用した天眼石は、非常にハイランクの、ある種の宗教的性質を持ったパワーストーンといえる。

あるがままを見つめる天の眼

山

 その美しい縞模様が「眼」のように見えることから、強力な眼力的パワーを持つと信じられてきた天眼石。

 事実、天眼石には高い眼力が宿っているが、それはひょっとすると一般的に考えられている「眼力」とは異なるものかも知れない。

「自分にとって有益な物事、有害な物事を見極めたい」

「儲かる投資案件を探し出せるようにしたい」

 そのような希望を叶える性質は―――残念ながら天眼石には希薄だ。

 考えてみれば不思議ではない。

 天の眼―――宇宙の視線は、あらゆるものをあるがままに見つめる。

 なにかに対して善とか悪とか、得とか損とか、そのような評価・解釈を下したりはしないのだ。

 ちっぽけな人間にとってそれが有益だろうが有害だろうが、そんなものに関与はしない。

 もっといえば、所有者が幸福になろうが不幸になろうが、それにすら関与しない。

 善も悪も、幸も不幸も、人間が心や思考の中に生み出した幻想だ。

 どんな喜びの中にあろうと、あるいはどんな苦痛の中にあろうと、天眼石はその現実をあるがままに見つめ「よし」とする。

 それなら天眼石を身につけることに何の意味もないのかというと、もちろんそういうわけではない。

 天眼石の「物事を解釈しない」天の視線で見つめられると、その視線に耐えきれずいつの間にか消え去ってしまうのは―――人間の解釈における―――悪いものたちだからだ。

 運勢にせよ、物事にせよ、あるいは人にせよ、有害なものたちは去り、結果として良きものが残ることで、所有者の運勢や人生は好転するだろう。

 天眼石の効果は、魔除け。

 その効果は、所有者の内なる魔にも適用される。

 怒り、憎しみ、怠惰、不満……所有者のネガティブな感情は、天眼石の静かな視線を受け続けることで、いつのまにか薄まり、そして消えてなくなる。

 また天眼石の視線を終始感じ続けることで、

「天(神様)にいつも見られている」

 というような感覚が無意識のうちに生まれ、日常生活の中で自然と己を律するようになる。

 勤勉で道徳心の高い人間へと、少しずつ変化していくことだろう。

 そうやって所有者自身がハイランクな存在へと成長していくことで、さらなる運勢が開けてくることも、またいうまでもない。

あたたかなる大地の力

山

 その名の通り天の眼を持つ天眼石だが、同時に暖かく力強い大地のエネルギーも秘めている(もちろん「天」というのは宇宙全体を示す一種の比喩であり、大地のことも含むのでおかしくはない)。

 天眼石はオニキスやスモーキークォーツ同様、心身を「地に足の着いた」安定した状態にしてくれる。

 天眼石を身につけると自然と意志が強くなり、少々のことでは動じなくなる。

 また体も頑強になり、健康状態も安定することだろう。